播州宍粟地酒販売 本家門前屋酒店
本文へジャンプ H18.06月12日 

 





日本酒あれこれ(2)
扇 酒壺一間花

 杉 玉 
 杉玉は杉の葉を束ねて直径40cmほどの球形にまとめたもので「酒林」とも呼ばれます。 昔から造り酒屋の目印として知られ、地方の造り酒屋の軒下などでよく見られます。酒造りと杉は縁が深く、酒神として知られる 大物主神を祭る奈良の大神(おおみわ)神社のご神木が杉であるし、酒桶など使われる用具も杉材が多いようです。
 杉玉はいつのまにか新酒の搾り時期に合わせて、新しく仕立てたものを軒下に飾るようになりました。その習慣が定着して、 新酒ができたことを知らせる意味合いを持つようになったとか、杉玉が作った時の青々とした色から、枯れて茶色く変色 する様子から新酒の熟成時期を知らせるとか言われます。

醸造元の軒につるされた
杉 玉
杉玉


お銚子と徳利ってどこがちがうの?
 銚子は酒を杯に注ぐための酒器で、本来のものは離れていても注ぎやすいように長いがついているのが特徴です。
 一方、徳利もまた酒を注ぐための酒器ですが、陶磁器の壷状の容器であり、銚子とはまったく別のものです。徳利は 江戸時代に入ってからは小型になり、酒の燗にも用いられたため「燗徳利」と呼ばれるようになり、いつのまにかこの燗徳利銚子と混同されてしまったようです。
 銚子が料亭などで盛んに使われ始めたのは江戸時代中期でしたが、その後簡単に燗の具合を調節できそのまま酒席にも 出せる燗徳利が流行したため、銚子は主として儀式・祝儀用の酒器になったようです。

貸し徳利 貧乏徳利 貸 徳 利
江戸後期から昭和初期まで、酒屋で買った酒を
家庭に持ち運ぶために広く利用された。
表には貸主の酒屋の名が入っている。
貧乏徳利ともいう。


樽と桶ってどうちがうの?
 樽はもともと酒の運搬用の容器として使われ始めたものです。樽の登場まで酒の運搬用容器は須恵器の壷や「曲物桶」でした。 その後、短冊形の側板を円筒状に並べて竹のたがをはめて作る「結桶」が登場し、また同じ頃に樽も普及し始めました。ただ、 桶が次第に大型化していったのに対し、樽は持ち運びできる大きさで、蓋を固定する点が明らかに異なり、明確に 区別されるようになりました。そして、桶は酒造りの容器、樽はそれを運搬する容器と役割分担されるようになりました。
 室町から江戸時代職にかけて、樽が広く普及すると共に形も大型化し、一斗樽や四斗樽の登場は酒の流通に画期的な 役割を果たしました。また、現在も鏡割りで使われるような藁菰で巻いた「菰樽(こもだる)」や、祝儀や儀式で使われる 「角樽(つのだる)」「指樽(さしだる)」「兎樽(うさぎだる)」など、種類も豊富に発達しました。

角樽
角 樽
指 樽
江戸時代、、主に祝儀用に用いられた。
漆塗りで仕上げ家紋や蒔絵をほどこした
ものもある。
幕末頃には使われなくなったようである。
指樽


<甘口と辛口><日本酒度
 甘口の日本酒とは文字通り飲んだ時に甘く感じる酒で、辛口の酒とはその反対の酒です。日本酒の甘味は主としてエキス分 中に含まれるブドウ糖やグリセリンに由来し、辛味アルコール分に由来します。
 この糖分とアルコール分のバランスを比重の数値で表したものが「日本酒度」です。比重の重い糖分の含量が多ければ マイナスの数値が大きくなり(甘口)、比重の軽いアルコール分が多ければプラスの数値が大きく(辛口)なります。 ただし、本来酒の甘辛は人間の官能による判断であり、この数値とは必ずしも一致しないようです。人間の感じる甘辛には、糖分と アルコール分のほかに含まれている酸の含量が大きくかかわっているようです。
 また、甘辛の傾向は時代によっても変わります。たとえば、明治時代の酒は一般に超辛口で酸味も多く(日本酒度 で+10〜+16)、大正時代はその辛さが半減し(日本酒度で+3〜+10)、昭和に入ると一転して甘口(日本酒度 で−1〜−8)、その甘口も昭和60年頃からやや辛口傾向(±0〜+2)になっているようです。


(出典):「日本酒百味百題」(発行:野本信夫 監修:小泉武夫)より引用させていただきました。

   
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